東京地方裁判所 昭和32年(ワ)10265号 判決 1960年9月30日
原告 テオドル・レウイン
被告 レオン・アイ・グリーンバーグ
主文
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、第一次請求として、「一、被告は、原告に対し、米貨一万弗及びこれに対する昭和三三年一〇月二六日から、支払ずみに至る迄年五分の金員の支払をせよ。」もし右債権の執行が不能の場合は、第二次請求として、「一、被告は原告に対し、三六〇万円及びこれに対する昭和三二年一〇月二六日から、支払ずみに至る迄年五分の金員の支払をせよ。」右両請求を通じ、二、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として
一、原告はアメリカ合衆国に、被告は日本に居住する、いずれもアメリカ合衆国の国籍を有する者であり、被告は日本に於て、弁護士を開業している。
二、被告は、昭和二九年七月頃、東京都に於て、原告に対し、同都内に於て、有力な第三者を通じて、クラブの設立許可が得られるから、その第三者に対する報酬として、米貨一万ドルを交付せられたいと申込んだ。原告は、クラブの設立許可及開業以前に、その金員を交付し難いと答えたところ、被告は原告に対し、第三者を通じ、同都内に於て、クラブの設立許可を得て開業し、三カ月営業したときは、第三者にその金員を交付すべきこと、即ち、若しクラブの設立許可が得られないときは、原告に右金員を返還する旨述べたので、原告は同年七月二〇日、被告に対し、米貨一万弗を交付した。
しかるに、被告は、右クラブ設立の許可を求めることを為さず、そのクラブの設立は、遂に許可を得られなかつた。従つて被告は原告に対し、右金員を返還すべき義務がある。
三、そこで、原告は、訴外アロンゾ・ビー・シヤタツクを代理人として、被告に対し、右一万弗の返還を求めたところ、被告は昭和三〇年一〇月二五日、東京都に於て、原告に対し、右一万弗を、利息を附することなく、昭和三二年一〇月二五日迄に、支払うべきことを約し、その支払の為、即日、原告にあて、金額を米貨一万弗、満期を昭和三二年一〇月二五日とする約束手形一通を振出した。
四、以上原被告間の各法律行為は、すべて日本法を基準法としたものであつた。
よつて原告は被告に対し、第一次請求として、米貨一万弗、その債権の執行が不能の場合の第二次請求として、日本円三六〇万円及びこれ等の金員に対する、昭和三二年一〇月二六日から、支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の遅延損害金を求める為、本訴請求に及んだ。
被告の(一)の抗弁は理由がない。
(二)の抗弁につき(1) の事実を否認する。(2) の事実を認める。と述べ
証拠として、甲第一第二号証を提出し、証人大館三郎同アロンゾ・ビー・シヤタツクの各証言を援用し、乙第一号証の成立を認め、乙第二号証の成立の認否をしなかつた。
被告訴訟代理人は、原告は当初米貨三〇〇〇弗、及びこれに対する、年五分の遅延損害金、その執行不能の場合に於て、日本円一〇八万円、及びこれに対する年五分の遅延損害金の支払を求めていた。しかるに原告は、昭和三五年一月一八日の本件口頭弁論期日に於て、その請求を前記のように拡張した。しかしながら、元来当初の米貨三、〇〇〇弗の支払の請求が、理由のないものであるから、原告の右請求の趣旨の拡張は許されない。それ故、その請求の趣旨の拡張に異議を申立てる。と述べ、右異議が理由ないときは、「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の一の事実を認める。
二の事実は被告が、昭和二九年七月二〇日、原告から、米貨一万弗の交渉をうけたことを認める外、全部これを否認する。原告は、右日時被告が、原告の依頼に応じて為すべき職務に対する報酬として、米貨一万弗を交付した。そして被告は、原告の依頼に沿うて、職務を履行した。従つて被告に、その返還義務はない。
三及び四の事実を認める。
抗弁として
(一) 原告の本訴請求は、その主張自体請求権の存否に拘らず、不適法である。即ち原告は、外国為替及び外国貿易管理法にいわゆる非居住者、被告は居住者である。居住者から非居住者に対する弁済は、同法第二七条により、外国為替管理令第一一条による主務大臣の許可がない限り、禁ぜられている。しかるに本件に於て、原告は、その支払につき、未だ主務大臣の許可を得ていないから、本訴請求は不適法である。
(二)(1) 原告は、世界でも有名な賭博師であつて、その代理人アロンゾ・ビー・シヤタツクもその一味である。原告は、代理人シヤタツクを通じ昭和三〇年一〇月二五日の右三の契約締結に先だち、被告に対し若し被告が右三の契約を結ばなければ、被告及びその家族の生命身体に、危害を及ぼすような通告をしたので、被告は畏怖を感じ、右契約を結んだ。即ち、その契約は、シヤタツクの強迫に基くものである。
(2) そこで被告訴訟代理人は、昭和三三年四月二五日の本件口頭弁論期日に於て、原告訴訟代理人に対し、右強迫を理由として、右契約を取消す旨の意思表示をした。
従つて右契約は当初に遡り無効となつたから、被告は原告に対し、米貨一万弗の支払義務がない。と述べ
証拠として、乙第一第二号証を提出し、被告本人尋問の結果を援用し、甲第一号証の成立を認める。同第二号証の成立は知らない。原告の援用する証人アロンゾ・ビー・シヤタツクが、昭和三五年五月六日の口頭弁論期日に於て、尋問せられたことに異議がある。右証言は、被告代理人の立会なくして為されたものであるから、総て排除せられるべきものであると述べた。
理由
被告は、原告の為した請求の趣旨の拡張につき、異議を申立てるから、先ずこの点につき判断する。記録によれば、原告は本訴状及び昭和三三年九月五日附訴状訂正申立書に基いて当初被告に対し、米貨三千弗及びこれに対する年五分の遅延損害金、その執行不能の場合には、日本円一〇八万円、及びこれに対する年五分の遅延損害金の支払を求めて居たが、昭和三五年一月一八日の本件口頭弁論期日に於て、その支払を求める米貨三千弗を一万弗に、日本円一〇八万円を三六〇万円に拡張したこと、そして右訴状に於て三千弗及び日本円一〇八万円を請求したのは、前記請求原因二、三に基いて、本来被告に対し、米貨一万弗の請求権があるに拘らず、その内金として三千弗を請求したのであるが、右拡張された米貨一万弗も、右請求原因二、三に於て主張する、米貨の一万弗の請求権に外ならないことが明である。してみれば、その請求原因は、請求の趣旨の拡張の前後を通じ、全く同一であつて、後者は、その数額を拡張したに過ぎない。されば、その請求の趣旨の拡張は、民事訴訟法第二三二条第一項にいわゆる、請求の基礎に変更のない場合であつて、その拡張を許容することにより、著しく本件訴訟手続を遅滞せしめるものとは考えられない。原告の請求の趣旨の拡張は、適法である。
次に、被告は、原告の本訴請求は、外国為替及び外国貿易管理法に違反するから、不適法であると抗弁する。しかしながら、同法第二七条によれば、同法の他の規定は政令で定める場合を除いては、非居住者に対する支私(第一項第二号)は、禁止されているが、外国為替管理令第一一条によれば、主務大臣の許可があれば、その禁止は免除される。本件に於て、裁判所は、原告の被告に対する原告主張の請求権即ち、原告が既に被告に交付した、米貨一万弗の返還請求権の存否につき、判断するものであつて、その債権の弁済につき、右のような制限があつたからと言つて当裁判所は、その請求権自体の存否につき、判断することを禁止されているものではない。外国為替及び外国貿易管理法の立法趣旨は、第一条が明に規定するように、「外国貿易の正常な発展を図り、国際収支の均衡、通貨の安定及び外貨資金の最も有効な利用を確保するために必要な外国為替、外国貿易及びその他の対外取引の管理を行い、もつて国民経済の復興と発展とに寄与することを、目的とする」ものであつて、我が国の裁判所から非居住者の居住者に対する債権に関する裁判権を、剥奪したものと解することはできない。被告の主張は、全く採用に値しない。
原告主張の一及び四の事実は、被告が自白したところである。
被告は原告の援用する証人アロンゾ・ビー・シヤタツクの尋問につき、異議を述べるから、この点につき判断する。当裁判所は、昭和二五年二月一九日午後一時の口頭弁論期日に於てジヨゼフ・ジユ・マツケナー同アロンゾ・ビー・シヤタツク及び被告本人を昭和三五年四月四日午後一時の本件口頭弁論期日に於て、尋問する旨の決定をしたところ、同期日には右三名とも出頭しなかつたので、当裁判所は、証人アロンゾ・ビー・シヤタツクを、同年五月二〇日午後二時に、被告本人を、同年五月六日午後二時の各口頭弁論期日に於て、それぞれ尋問する旨の決定を為した。それは、右両名を同時に尋問するときは、被告は、何等畏怖をうけない、自由な供述をすることができないから、異つた期日に尋問せられたいという、被告訴訟代理人の希望を容れたものであつた。しかるに、被告及び被告訴訟代理人は、同年五月六日午後二時の口頭弁論期日に出頭せず、かつ出頭しない理由について、裁判所に対し何等開示する方法を採らなかつた。しかるに原告訴訟代理人は、同期日に、アロンゾ・ビー・シヤタツクを帯同して出頭し、同証人は、近日中に或る緊急な用件の為に帰米するから同期日に於て同証人を尋問されたい旨申出でた。裁判所は、その時、日本政府が、同年四月二八日、同証人に対し、同年五月一六日迄に、出国すべき旨の退去命令を発していることを知らなかつたし、被告及び被告訴訟代理人が、当日何等の理由なくして、出頭しなかつたことは、同日口頭弁論期日に於て行われるべき、相手方の訴訟行為につき、予め異議権を放棄したものと解釈し、同証人を、同口頭弁論期日に於て、被告及び被告訴訟代理人の立会なくして、尋問した。従つて右証人の尋問は、被告に反対尋問の機会を与えることなくして、終了した。しかしながら、被告及び被告訴訟代理人が適式に告知された同年五月六日午後二時の本件口頭弁論期日に、裁判所に対し、何等首肯するに足りる理由を告げずに、缺席しながら、同期日に於て施行された、証拠調に対し、後日、異議を申立てることは許されないと解する。かように適式に告知された口頭弁論期日に、何等の理由を示さずに出頭しなかつた当事者及び証人は当事者の本国法である米国法によれば、裁判所侮辱罪により制裁をうける。当裁判所は、被告が予め異議権を放棄したと考えるが故に、アロンゾ・ビー・シヤタツクの証拠調に成立に争のない甲第一号証乙第一号証の各記載人アロンゾ・ビー・シヤタツクの証言、及びその証言により、真正に成立したと認める甲第二号証の記載、被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
原告は昭和二六年頃から、東京都に於て、ナイトクラブを設立することを計画し、被告にその設立に関し、関係官庁に対する許可を得る手続等を依頼し、被告がこれを承諾したので、その費用として、昭和二九年七月八日被告に対し、ニユーヨークのナシヨナル・スイテイ・バンクの銀行小切手を以て、米貨一万弗を送金し、被告は同年同月二〇日これを受領した。
被告はその後、関係当局に、ナイトクラブ設立許可につき運動を為した結果、昭和三〇年頃、渋谷区豊分町一一番地に於て、フオリン・ビジネスメンズ・クラブが設立せられ、同クラブは、開業したことが認められる。右認定に反する部分の証人大館三郎同アロンゾ・ビー・シヤタツクの各証言は当裁判所の採用しないところであり、他に右認定を覆すに足りる証拠資料はない。そうすると、右米貨一万弗の交付の趣旨が、仮に原告主張のように、ナイトクラブ設立不許可を、解除条件とするものであつたとしても既にナイトクラブは、右認定のように設立が許可せられたのであるから、原告がその設立の不許可、即ち解除条件成就を理由として、被告に対し、米貨一万弗の返還を求める請求は、理由がないといわなければならぬ。
原告主張の三の事実、即ち、被告が、昭和三〇年一〇月二五日、東京都に於て、原告に対し、米貨一万弗を、昭和三二年一〇月二五日に支払うべきことを約し、その支払の為、即日、原告にあて、その主張の約束手形一通を振出したことは、被告が自白したところである。
被告の(二)の抗弁につき判断する。成立に争のない乙第一号証の記載、被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
原告は、マニラ、香港、マカオ、シンガポール等に於て、賭博場を経営し、暗黒街の親分とも見られている者であるが、右フオリン・ビジネスメンズ・クラブは、そこで、専ら外国人をクラブ員とする賭博場が開帳せられているという嫌疑で、昭和三〇年七月一一日警察官の捜索をうけ、その後設立許可が取消された。しかるに原告は被告に対し、前記米貨一万弗の返還を迫り、被告が応じなければ、自己の輩下をして、被告自身、或はその家族に、危害を加えるかも知れない旨を告げた。その後原告は、自身、及びその腹心の部下であるアロンゾ・ビー・シヤタツク等を通じて、直接、或は被告の事務所又は自宅に電話をかけ、被告に対し、前記米貨一万弗の返還方を要求した。原告は、昭和三〇年一〇月中旬、即ち被告をして、前記約束手形に署名させる数日前、被告に対し、一万弗の返還を求め、被告がそれを拒絶すると、原告は鞄の中から拳銃を取出し、被告にそれを示した。被告は、原告が、前記各地に於て、地下組織を擁する賭博場を、経営している者であることを知つていたので、自己又は家族に、原告から、何時いかなる危害を加えられるかも知れないと畏怖を感じ、同年一〇月二五日、原告に対し、右一万弗を返還することを承諾し、かつ前記約束手形に署名したことが認められる。右認定に反する部分の証人アロンゾ・ビー・シヤタツク、同大館三郎の各証言は、当裁判所の採用しないところであり、他にこれを左右するに足りる証拠資料はない。そうすると、被告の右意思表示は、原告の強迫に因る意思表示ということができる。
被告訴訟代理人が、昭和三三年四月二五日の本件口頭弁論期日に於て、原告訴訟代理人に対し、強迫を理由として、右契約を取消す旨の意思表示をしたことは、原告の認めるところである。してみれば、被告の取消の意思表示により、右契約は、当初に遡り、失効したものといわなければならない。
そうすると、前記三の契約の存在を前提とする原告の本訴請求は、失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 鉅鹿義明)